atelier:mitsuba

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先生と師匠

少し思うことがあったので。
いま24歳のあたしより年下の人へ。





あたしが初めてきちんとパソコンを触りだしたのが中学1年生。
パソコンでインターネットばかりしてたし、インターネットはキーボードが打てればなんでも教えてくれたし、インターネットはあたしの先生だった。
初めてプログラミングを触りだしたのが中学2年生。
HTMLのタグ辞典を後輩のお兄ちゃんが持っていて、貸してもらった。
本に書いてあるとおり打てば本に書いてあるとおり動いた。
そのタグ辞典はやっぱりあたしのHTMLの先生だった。
で、情報系の高校に入学して、COBOLを使った基本的なアルゴリズムを学んだし、それを教えてくれた先生はやっぱり先生だった。シスアドの授業もPHPの授業も自宅サーバの作り方もやっぱり先生だった。




で、高3の時、ICTスクールに参加した。
あたしはプログラムじゃなくってリソースを作る側に回ったのだけど、3Dモデリングとテクスチャとマッピングを教えてもらった。やっぱり先生だった。
黙々と作業をしていると、先生は勝手に自分の作品を見せたり、それを少し弄ってみせたり、絵を面白い様に書き換えたりして、楽しそうに喋ってたし、あたしにはそのスキルがすごく見えた
少し時間が出来て、先生と喋っていて、「いまなにをしてる、これをつかってどうしたい、それが僕にできるかわからないし、どういう結果になるかわかんないけど、やってみたい。」っていう話をしてもらった。
でもって、「君の1番得意なものがなくなったとき、2番目に得意なものを使ってどうしたいか考えてみるといいよ」と謎掛けをしてもらった。
あたしにとって、教えてもらうだけの先生から、アートの師匠になった。その師匠は当時大学生だった。




ICTスクールを統括している人は先生じゃなかった。
無茶ぶりはしてくるし、なにも教えてくれないし、よく分からないことばかり言ってた。
でもそのよく分からないことが、あたしが考えた答えとはぶっとんだことばかりで面白かった。
面白いことしか評価しない面白い人だったけど、あたしに面白いことは面白いと見せつけてくれた。
でもって、面白いは人を惹きつけるってことを伝えてくれた。
その人は教育の師匠になった。その師匠は研究者だった。




高校のころ、コンピュータとは全然違うところで、あれこれ言ってくれた人もいた。
礼儀もなんもなってなかったあたしに色々叱ってくれたし、「なんでもやってみればいいし、高校生の失敗程度いくらでも拾ってあげる」とも言ってくれた。
その人はあたしの思想の師匠になった。その師匠は少し上のお姉さんだった。




大学生のころは、フレンチのバイトを始めた。
その頃は、お客さんにどんなワインを進めていいかわからなかったけど、
料理とワインのマリアージュを実際に体験させてくれた人がいた。
その人はあたしのワインの師匠になった。その師匠は後から入ってきた料理人の奥さんだった。




フレンチのバイトとは別に勉強会に出るようになった。
Silverlightだったけど、C#なんて触ったこともなかったあたしだったけど、XAMLは手書きしてたし、デザインには興味があった。
ある人のセッションをよく機会があって、その人の話はとっても面白いしとってもかっこいい、しかもあたしにとっても分かりやすい。でもってなんとなく魅力的だった。
その人はあたしのエンジニアの師匠になった。




エンジニアばかりのセッションの中で、デザインやUXについて語れる人がいた。
いままでデザインはセンスだと思っていたけど、きちんと論理で定義できて、論理化されたデザインはセッションでもわかりやすくて、かっこいいというより、クールだった。
その人はあたしのデザインの師匠になった。




どの人も師匠だなんて呼んだことないし、明示的に師弟関係にあるわけでもないし、勝手に思ってるだけだし、もう会うこともない人もいるのだけど、きっとあたしはずっと尊敬していると思う。
でも師匠はほとんど教えてくれることはないし、師匠みたいにできるようになりたいとは思うけども、師匠のようになりたいとは思わない。
ただやっぱり師匠にはずっと頭が上がらないなとは思うし、師匠を超えることはないと思う。




逆にはっきり言ってしまうと、あの頃の先生なんて、今となっては大したことなくて、簡単に超えられたと思ってる。先生はその瞬間必要そうなことは教えてくれるけど、それら知識、技術、思想があたしの中で長生きするかっていうとそうでもない。
役には立ったかもしれないけど、あたしには根付きませんでした。





違う話をすると、あたしは高校を卒業して早く稼ぎたかったし、もう勉強だなんていやだと思って、大学に行かずに働くことを選ぼうとしました。でもひょんなことを言われて、大学に行きました。
大学に行って卒業したら、大学院に行きたくなりました。でも卒業できなくって、もう半年大学にいて、結局就職して、そして1年経たずして離職しました。




自分で、「なにがやりたい?どうしたい?これからどうなりたい?どうありたい?どうしていきたい?どうやって死にたい?その時、なにをやってきて、なにを残したい?」って聞かれても、なんとなくもやっとイメージはあるけど、うまく言語化できません。




でも、少なくともあたしには周りにすごくいい師匠がいっぱいいます。取り上げてないけど他にもたくさん。もしかしたら勝手に思ってる師匠の一人がこのエントリを読んでるかも。




師匠になりたいのではなくても、師匠に憧れたなら、その師匠の憧れたところを自分に近づければいいと思ってる。
そうした憧れをまるっと自分のものにすることなんて出来ないし、出来てもきっと違和感があるだろうし、自分にしっくりくる形があると思っていて、それがなんとなくもやっとしたゴールへのマイルストーンでもあると思うのね。




そうした幾つものマイルストーンを貯めていって、あるとき振り返ったら、前よりはゴールが言語化できたり、自分のスタンスが確立してきたり、あるいはスキルセットだったり、技術力だったり、もしかしたら目に見える実績が出来たりしてるものかなって思ってる。
でもって、貯めたマイルストーンをまた組み合わせて、やっぱり自分のしっくりする形に納めていけばいいと思う。
降ってきたことは楽しんでやれればいいし、あるいはがむしゃらに問題に取り組んでみてもいいと思うけど、そうじゃなくって、時々取り出して、広げたりくっつけたりして、思い返すことも大事だと思う。
そしたらまた少しずつ自分の物にして、個性を磨くといい。





でも、まずはやっぱり師匠を見つけてほしい。
周りにそんな人がいないなら、どんどん外に出ていけばいいし、強引にでもコンタクトを取ってみればいいと思う。
師匠も暇じゃないので、師匠にこいつおもしろいなって思わせるなにかが必要だけど、少なくとも熱意があれば、そういった師匠達は耳を貸してくれるし、手を貸してくれるかもしれない。




「なにがやりたい?どうしたい?これからどうなりたい?どうありたい?どうしていきたい?どうやって死にたい?その時、なにをやってきて、なにを残したい?」
これは難しいけど、勝手に憧れるのは簡単。
憧れをそのまま憧れに置いておいたり、手の届かない存在だと言うのなら、それはただの甘え。
憧れから学べるものは山ほどある。
「師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ」ではないけども。
何かをしなくちゃいけないとか、ちゃんとしなくちゃじゃなくて、憧れとか面白いとか純粋な気持ちを大事にしてほしいのね。





だから、やっぱり自分が憧れる師匠を見つけてほしいなって思う。
でもって、もし自分が少し成長したと思ったら、今度は自分より下の気に入った子に伝えてあげれば、もっと素敵になると思うよ。